2016.11.12 池多のリンゴと新米を送りました。

毎月 被災地へ野菜を送っています

写真は3月の宅配作業。富山市東別院教務所前。

2015.10月 新米や野菜を福島へ送りました

今年も新米を福島へ 池多住民有志 2015.9.7

夏休み保養の受け入れ

2015年夏休み、福島や首都圏から富山に保養に来られた。移住を検討しているという家族も。富山県は、Iターンなど積極的に県外者の移住を進めているが、具体的な支援はほとんどない。実際にこの8月、千葉市から移住した方は、仕事と住宅が確保できなくて苦労している。何らかの取り組みが求められている。(写真 蜂蜜屋さん 「花めぐり」で試食するこどもたち)

木下黄太講演会 2015.8.22

チェルノブイリから25年経ったキエフ。放射能の影響はどうなっているのか?

被曝2世の子どもたちの多くに心臓や何らかの疾病が現れている。チェルノブイリ事故で放出された放射性物質とフクイチは同じではないが、首都圏と同じ線量で20年生活するとどうなるのか、想像に難くない。木下さんの警告は参加者に鋭く突き刺さった。


参加者のアンケートより

・富山市長の件、びっくりしました。今年の4月に富山へ転勤してきた為、富山の現状を知ることができる、よい機会でした。
・汚染の現状を改めて認識しました。
・今後も忘れてはいけないことと強く思いました。貴重な機会を、ありがとうございました!
・ゆるんでいた気がひきしまりました。
・インターネット等の情報ではなく、実さいに自分の目で見て聞いて、感じることが大切だと思いました。
今日の内容を参考に、これから行動していきたいと思います。
・東京の汚染がかくもひどいとは思っていなかった。首都圏脱出は普通に生活している庶民が真剣に考えることだと思える。チェルノブイリから日本は何を学んだのか?
・キエフと東京の比較は大変理解し易く、日本の対処の仕方の不充分さが、気になります。
「放射能の被害発生はない」と言いたい人々が、放射能被害は徐々に発生するという科学的解明が被爆国、日本に資料が少ないのは許せないと思う。
・キエフで起こっている現状が、将来の日本におそいかかってくる可能性が多いにあることに対し、子どもたちの未来がまっ暗になってしまいました。自分にできることは何か、あらためて考えさせられました。
・・現実はきびしい状況ですな(ウクライナと関東は同じレベルとはおどろいた)
・国や政府のけん力のある人にこれらを認識してもらって国民を助けてもらいたい
・大変参考になり、りっぱな講演でした。ありがとうございました
・私は東京から金沢市に2013年10月に移住してきましたが、北陸の人たちは放射能問題に関心が薄いように感じていました。この会のように勉強できる機会がなかなかないので参加できてよかったです。
・2011年2月~同年6月まで東京におり、その後3年間海外駐在しており、2014年3月~先週まで関東におりました。出産のため今週より実家のある富山に戻ってきて木下氏の講演会を聞くことができてよかったです。

福島仮設住宅に住む方の声

毎月、宅配で野菜などを送っている本宮市の仮設住宅は来年3月で閉鎖となります。
現在残っているのは8家族で、ほとんどが高齢者です。
移動式の仮設は撤去され、1棟のみ残るそうです。
公営住宅に移る方と仮設に残る方とに分かれていくでしょう。
「今になって、家に戻れるのは30年後と言われた。それなら最初から戻れないと言って欲しかった」
荷物を皆さんに配布して下さっているお母さんは、いろいろな事情から小1,年長さんの男の子2人と仮設で生活し続けています。
小学校まではバスで30分、全校生徒は12人。
もともと人の少ない村に仮設を作ったため、周辺に何もありません。
こうした話を聞くに付け、東京オリンピックに莫大な予算を投入する政府の政策に怒りを感じます。
 
3.11の前後は福島のことがニュースになりますが、それ以外はほとんど報道されません。忘れてはいけないこと、繰り返してはならないこと、私たちの責任としてできることを続けていきたいと思います。


映画A2-B-C上映会 

3月15日、サンフォルテにて映画A2-B-Cの上映会が行われ、約80名が参加しました。3月8日には、南砺市でも上映されました。

福島で放射能の不安を日々感じながらの生活。子どもたちの未来はどうなるのか・・。お母さんたちの切実な声に心が痛みます。

忘れてはいけない。まだ何も「解決」していない。この現実をひとりでも多くの人に知って欲しい。できることから始めようと、原発の再稼働反対の取り組みや保養の受け入れなど、今後も継続して取り組んでいこうと意見が出されました。


富山で保養+避難受け入れネットワーク ttp://thunetwork.jimdo.com/

11月19日、東別院教務所前にて

米、冬野菜を始め、菓子類などの寄付が集まりました。福島県内の10家族に宅配便で送りました。

福島に宅配作業 シェアハウスにて
福島に宅配作業 シェアハウスにて

9月、福島の仮設住宅、借り上げ住宅、夏休みに保養に来られた方に、お米や野菜を送りました。来月は10月10日の予定です。

福島からのお便りと写真 2014.6

浪江町の方(現在仮設住宅)が自宅の片付けに戻った際に撮った写真を送っていただきましたので、紹介します。

 

お野菜 や 衣類をありがとうございました。
今日は、浪江に 部屋の片付けをしに 帰ってきました。
全く変わらない風景が目の前に広がっていたので、何を撮って良いのかわからなかったのですが、『浪江町役場』『除染が始まった一部』
を写メします。

除染した土砂など積まれたまま
除染した土砂など積まれたまま
浪江駅
浪江駅
浪江町役場
浪江町役場

郡山市の借り上げ住宅の方からハガキが届きました。

一昨年の冬に凍った階段で転倒し、大腿骨骨折の大怪我をされたそうです。

足が不自由なこともあり、買い物に行くのが大変で、特に冬場は外に出ることがしんどいとお聞きしました。料理が好きということで、富山の野菜が届くのを楽しみにしておられます。借り上げ住宅の方もまた、孤独になりがちです。

 

東京オリンピックで被災地の「復興」は後回し。放射能の汚染水はダダ漏れ。

原発事故の被害者を放置し、全く無責任な東電と政府。原発の再稼働と海外へ原発を輸出するとはとんでもない!

福島の現実を知って、東電と国家に責任をとらせましょう!

 

福島県民を苦しめる巨大ゴミ焼却炉の乱立

除染から中間貯蔵へ。福島はまた大きな苦悩に直面

(撮影:梅谷秀司)

放射能に汚染された廃棄物を集約する「中間貯蔵施設」をめぐり、福島県で悩ましい問題が広がっている。

国が建設候補地とする福島県内3町のうち、楢葉町が「1キログラム当たりの放射能が10万ベクレル超の廃棄物は受け入れない」として実質的に建設拒否を決断したのが1月27日。これを受けて佐藤雄平知事は2月4日、残る大熊、双葉の2町に絞って国に再検討を求める方針を提示した。

両町の町長は回答を保留しているが、町民の間では「先祖代々の土地を国に売る気はない」との抵抗が根強い。来年1月に施設の供用開始を目指す国と、抜き差しならない交渉が続くことになる。

苦渋の決断を迫られている県内の自治体はもっと多い。中間貯蔵施設だけでなく、放射能汚染物の処理をめぐる大小の計画が持ち上がり、自治体や住民が翻弄される事態になっている。

「村長のやり方は『までい』じゃない」

物事を丁寧に行う意味の方言「までい」をキャッチフレーズにしてきた飯舘村の菅野典雄村長は1月26日、村民からこんな皮肉を浴びせられた。村南部の蕨平地区への建設を決めた処理施設に関する住民説明会でのことだ。

この計画は環境省が進めているもので、1日240トンの処理能力を持つ仮設焼却炉などを建設、焼却灰を中間貯蔵施設や管理型処分場が整備されるまで一時保管する。飯舘村内の除染で出た廃棄物や土壌など約14万トンに加え、周辺6市町から農林業系のゴミや下水汚泥を計7万トン運び込む計画であり、原発事故後の汚染物処理で広域的な受け入れ施設建設が決まったのは、福島でこれが初めてだ。

菅野村長によれば、村議会にも説明し、理解を得ているという。しかし、この日の説明会で廃棄物を運ぶトラックが「5~6分に1台」村内を行き交い、施設は「24時間365日稼働する」との説明が出ると、「そんなこと議会では聞かされてない」とあぜんとする村議も。「蕨平の一部の人たちだけで決められてしまった」「全村民に話すのがスジ。この説明会で村民が認めたということにはしてもらいたくない」と反発の声が上がった。

焼却炉の入札はすでに公告され、2月上旬には業者が決定、3月末までに着工し、1年後の来年度末をメドに完成。その後3年程度、稼働させる予定だが、村内の廃棄物量が当初の想定を上回る場合、さらに2年間延長できるとの取り決めが環境省と村の間で交わされている。

蕨平地区は帰還困難区域に指定された長泥地区に隣接し放射線量は高いが、もともとは平穏な里山だった。自宅のある村民の一人は「荒れ果てていくわが家と蹂躙されていく村を見るのは、もう耐えられない。今回の計画は放射能汚染よりもひどい」と失望をあらわにする。止まらない綱渡り

うずたかく積み上がっていく除染廃棄物。それを何とか処理しないと福島は前に進めない。運搬のために容積を減らす「減容化」は不可欠だ。しかし、さまざまな技術がある中で環境省は「焼却」に頼る。そこで、比較的低線量だった原発から南西の地域や、60キロメートル以上も離れた山村に突如、巨大な焼却炉建設計画が持ち上がり、各地で住民を戸惑わせている。

県南部の鮫川村では、環境省が1キログラム当たり8000ベクレル超の指定廃棄物を焼却する初の実証施設を建設。住民の反対を押し切って昨年8月に稼働を始めたが、わずか10日後に焼却灰を運び出すコンベヤーの一部が爆発した。

大量の放射性物質が飛散する事態にはならなかったものの、焼却灰の詰まりをなくすためにマニュアルを無視して弁を開放していた人為ミスなどが判明。地元の消防、警察への通報も無視された住民の怒りは収まらない。筆者が複数のプラント技術者らに取材をすると、「設備構造に根本的な問題がある」という声が聞かれた。それでも環境省は「再発防止策をまとめて住民の理解を得て、改修工事も終えた」として1月末、再稼働に向けた確認運転に入った。

こうした強引さは、一つが止まれば全体の流れが滞る複雑な処理計画が背景にある。県や民間レベルでは「バイオマス発電」などとして焼却処理を進める動きもあり、住民の疑心暗鬼が募る悪循環に陥っている。

緻密な検証が不可欠

国が設ける中間貯蔵施設環境保全対策検討会の委員でもある福島大学の渡邊明教授(地球物理学・気象学)は「中間貯蔵施設の議論でも、減容化施設について国はバグフィルターで放射性セシウムの放出を99%抑えられると強調するが、1%の放出でも私の計算では1時間に200万ベクレル以上という膨大な量になる。こうした放射能の収支などを科学的に緻密に検証し、住民に真摯に説明しなければ、福島としてはどんな施設も受け入れられないだろう。ずるずる議論をしていいわけではないが、年度予算に合わせた役人のごり押しのような今のやり方ではいけない」と厳しく指摘する。

中間貯蔵された廃棄物は、30年後に県外で最終処分されることになっている。これは福島だけの問題ではないのである。

週刊東洋経済2014年2月15日〈2月10日発売〉号 核心リポート03)

3月7日 福島に野菜を送りました

 

丁度今は野菜の少ない季節。池多の未来を守る会からもカンパしていただき、地元の八百屋さんで雪の下の大根、カブラ、白菜、キャベツ、それからサツマイモ、上市の里芋、大豆、魚津のリンゴなどを詰め合わせました。春を告げるふきのとうも。

 

翌日、早速届いたとお礼の電話がありました。

今年福島はとにかく寒かったそうです。雪も積もり、足を怪我しているMさんは買い物に行けないのでとても助かっていると感謝されていました。仮設に住むSさんはお子さんが風邪をひきやすいのと、お父さんも風邪とのこと、心配です。

みなさんふきのとうを喜ばれていました。

放射能汚染で地元では山菜を食べられないから、懐かしいのでしょう。

タラの芽やたけのこが取れるようになったら、また送りたいと思います。

福島沿岸のクロダイから基準120倍のセシウム検出

2014.1.10 19:54

 水産総合研究センター(横浜市)は10日、福島県いわき市の沿岸で採取したクロダイから1キログラム当たり1万2400ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。国が定める一般食品の基準(1キログラム当たり100ベクレル)の120倍超に相当する。

 クロダイは宮城県と福島県で出荷が制限されているため、流通はしないという。

 クロダイは昨年11月17日に調査目的で採取した。近い海域で10~11月に採取したほかのクロダイと比べても、検出量が多いという。セシウムが蓄積した時期を詳しく調べる。

 クロダイは、ほかの魚に比べて放射性物質の濃度が下がりにくいため、同センターが原因を調査している。

 

「自主避難して正解」

原発災害「復興」の影 肯定求める親の判断 古里を離れて心に負担          福島民友 201413

 2012(平成24)年秋、12月で県外避難者のための住宅借り上げの新規受け付けが終わると聞いて、急に不安になった。

18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが見つかったと話題になったのもこのころだ。検査した機関は原発事故との関連を否定したが「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」期限ギリギリに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。
避難してから、放射線について調べ「やはり福島は危険だった」と思った。
今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、やはり避難して良かったと思っている。
昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。正月は夫と過ごした。福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、子どもの話に終始した。「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業佐藤勝十志(52)は1111月に相馬の知人らと京都で再会した。長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと当たり障りのないやりとりだったが、トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人から言われた。「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」

 

もう仕事ないよ
佐藤は「人前では言えなかったんだな」と思った。「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。避難したいと言えない雰囲気があるのでは」
と推測した。「裏切り者」「もう仕事はないよ」相馬に一時的に戻ると、同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。しかし、佐藤は意に介さない。
「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」
国による避難指示のなかった地域から、他県や会津地域に避難したのは3万人程度とみられている。賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、経営苦などが目立つとされるが、当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」と肯定的だ。
福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)社会福祉論は「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く、 避難が正しかったと思いたい気持ちが強い。 地元で健康被害などがあれば、避難が正当化されるという考えもみられる」と指摘し、「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげるなどの支えが必要だ」と話す。自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、事故後3度目の正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。
「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く」「避難が正しかったと思いたい気持ちが強い」「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげるなどの支えが必要だ」・・・

 

<避難先自治体の格差と子どもたちの格差>保養に行ける家族と行けない家族がある12/31報道するラジオ

報道するラジオ「年末スペシャル20132013年12月31日放送   http://youtu.be/7VFvwsdci5U?t=39m47s
水野:佐藤さんはおいくつでいらっしゃいますか?
佐藤:今36歳です。
水野:36歳、働き盛りやんねぇ。
佐藤:そうです。
水野:福島県のいわき市から逃げてきていらっしゃる。原発から何キロの地点ですか?
佐藤:約30km、圏内に入っています。
水野:大変な思いでこっちへいらしたと思うんですけど、今自立の話が出てましたよね。仕事はしなきゃいけないわけだけど、こっちではどうなんですか?
佐藤:いやぁ、もう最初は身寄りもなく、友達も家族もいないで、命からがら逃げ出してきたという、言い方は悪いですけど、「とりあえず生きているという事が一番大事だ」と思ったので、遠い大阪、一番市営住宅とかも500棟の仮設住宅があるということもあったので、そういう情報があって、今回こういうふうにお世話になっている訳なんですけれども、
水野:縁もないけれどもとにかく生きることを選ぼうと思って大阪に逃げてらしたんだ。
佐藤:はい。
近藤:そうですか、人間関係があったとかいうんじゃなくて。
佐藤:なかったです。
近藤:情報で
佐藤:そうです。
近藤:そうですか、大阪は少しは慣れたですか?
佐藤:もう3年位、2年10カ月位になるんですけれども、ようやく文化に慣れようかと、言葉使いの方面とかも。
水野:でも、最初大阪でものすごく心ない発言に囲まれたりしたご経験があるって聞きましたけど。どんな事を言われました?
佐藤:え…ま、「放射能を持ってくるな」とか、
水野:「放射能を持ってくるな」と。
佐藤:それは冗談だとは思いますけれども、
近藤:でも分かんないよね、大阪人がどこまでそう思って言っているのか。
佐藤:車なんかもいわきナンバーでこっちへ来たので、
近藤:いわきナンバー、話題になるよね。
佐藤:そうですね。最初は自分もホームシックになっていた時期があったので、
半年ぐらい車もずっと駐車場に、今借りている市営住宅の近くに停めている状態で、ほとんど乗らなかったのもあるんですけど、気付いたら鍵をあけられていたり、また盗まれていたり、傷つけられたりはしました。
水野:いわきナンバーに対する物だったかどうかはわかりませんけれども、その恐れはありますよね。そう感じられたでしょうね?この状況であればね。
佐藤:苦しかったですね。
近藤:なんか逆に心が温まったとか、なんかそういうのはないんですか?
佐藤:やっぱり大阪の方がきさくで明るくって、話しかけてくれるんですよね。
そういうところはすごく助かりました。
水野:具体的に仕事はどうですか?
佐藤:仕事もおかげさまで今順調で、
水野:ちゃんと、なんていうのかな・どうやって仕事を見つけはったんですか?
佐藤:最初は、そりゃあもう苦労しました。西成区に住んでいるんですけど、そこから自転車で大体20分ぐらいかけて職業安定所の方へ行くんですけど、
阿倍野区っていうところまで行くんですね。西成区は。それで、最初は分からなくて、あいりん地区(路上生活者が数多く居住)というのも最初は分からなかったんですけれども、そこを通っていったんですね。で、何回も通っているうちになんか行列が並んでいたんですね。僕も仕事探しているとか分からなくて、僕も職業安定所の方に行こうという事で、ちょっと並んだことも一回ありました。で、まあ、最初はやっぱり面接を受けても落っこったりとか、働いても、ちょっとブラックの企業に入ったりとか、

水野:あ、そうか。そういうところを、なんらかの公が仕事を紹介するっていう形は無いんですね。斡旋するような形って。
佐藤:それでですね、何回か受けてて、社会福祉協議会の方々、西成区の方が、今働いている会社の紹介という形で、やってくれたんです。
水野:社会福祉協議会がやってくれたんだ。
近藤:逃げてきてね、職業安定所でもなんでも、もうちょっとなんかこう、特に気を使って、いろいろ情報を与えてくれるという事はないんですか?
佐藤:ありました。被災者就職情報というのはまた別で、「被災者の方を優先的に就職させますよ」っていうのはありました。それで何回か、大阪市のジョブアタック企業とかフェニックス事業というのがあったんで、それは全部大阪府と大阪市がやっている事業があって、支援してくれたんです。
古部:大阪府にはあるんですよ、被災者向け就労支援事業っていうのが。
近藤:そういうのがあるわけ。
西内:あるんだけれども、私なんかしまなもんですけれども
水野:西内としゆきさんが今日3人目として来てくださっています。西内さんはいま65歳

西内:地域地域によってそういうふうにやっているところとやっていない所があるんですよ、関西でも

水野:西内さんは今滋賀県に避難していらっしゃるんですよね。
西内:住宅もやっぱりそういう事なんですよ。
水野:滋賀県と大阪市だったらだいぶ違ったりするんですか?
西内:そうですね、ええ。
水野:避難した先によって大分違ってきている。
近藤:自治体の取り組み方でしょ。
西内:そうそう。例えば住宅の問題も担当者で全部決めちゃうのか、そうじゃなくて市全体として、こういうふうに市民を受け入れるとか、避難者をですね。
そういうふうにもう少し自治体で考えて欲しいよと私の考えなんですけど、どうしてもやっぱり担当者レベルでやっちゃうという事があるんですよね。ですからこういうふうにいま古部さんが言ったような事の情報が違うんですよ。本来は国がやっぱり4月に出しているし、福島県も5月に「受け入れて下さいよ」というのを出しているんだけど、まだ今になったって決まって無いところもあるし、京都みたく4月にもう4年に延びましたよというところもあるし、大阪だと10月に受け入れを決めたんですよね。ところがまだまだ決まってないというところがあるんですよ。それは何故か?って言うと、各隣の自治体の様子を見て決めようというのがあるんですよね。

近藤:それは結局担当者のやる気があるかないかですよね。
水野:地域の話じゃなくて本来国がちゃんと決めることですよね。
西内:そういう事じゃなくて、やっぱり国がきちっとそういう事をしてかないところがね、これわかるんですけど、やっぱり、通常の災害は1年なんですよ、住宅。だから通常の災害という扱いをすると、そういう様なことになっちゃうから、担当者もやっぱりこういう判断が出来ないという事なんです。
水野:他の通常の災害だったら1年でいろんな事が直っていくかもしれませんけれど、原発はもう、とんでもない時間が必要な訳ですよね。
西内:ご存じの住宅は住宅法で決まっていて、定年で安くその人に住宅を斡旋するよという事だから、そういうふうに地域に住宅の根拠者がいっぱいいるわけですよ。だからそれと避難者とのかかわりをどういうふうにするかっていう事なんですよ。

水野:だから原発災害にはね、どうするか?っていう法律を、もうちゃんと新しくしておかなきゃあかん時期でしょう。だって、もうすぐ3年ですよ。ね、そこんところはみなさん
西内:減免でやってる自治体もあるし、そうでは無くて規則を改正してやっているところと、やっぱりそこが違うんです。だからそういうふうに減免でやると国からの交付税の恩恵を受けないよと、そういう事になっちゃうんですね。
水野:はぁ~~、いや、だけど国がもっと踏み込んで、そこは決めて。あるいは国会でちゃんとした法律をつくって、っていう事無しにここまで来ちゃってる事ですよね。皆さんのしわ寄せになっているんですよね。
古部:そうですね、支援法もあんまり動いてないですしね。
近藤:そうそう、お金の流れ自体がいい加減になっているからね、今。
48:22~http://youtu.be/7VFvwsdci5U?t=48m22s
水野:復興予算ね、これについてはおっしゃりたい事が皆さんのありだともいますけれど、どうですか?
西内:復興予算についてもですね、がれきを受け入れなくてもこの事業に交付されているんですね。それで、当初はあのがれきを受け入れる筈だったんだけどもがれきの量が当初より見込みが少なかったよということなんですけれども、
こういう事で最初に約束をしていたからという事で、復興予算が出ているんですよね。

水野:いろんな自治体にね。
西内:はい。ですからここら辺でも、関西でも堺市なんかはそういう形で、
「クリーンセンターをつくるよ」という事での交付が出されてるんですよね。
ですからそういうふに、たとえばうちの方も、南相馬
水野:南相馬から避難してらっしゃるんですよね。
西内:実は私がいた時には290億の予算なんですよ。ところが24年度の最終予算で1100億なんですよ。ところが、実質使ったのは350億なんですよ。あとは使いきれないんですよね。
水野:1100億円交付されているのに、
西内:いえ、予算のところで
水野:あ、予算の規模が1100億円。なのに300-
西内:億ぐらいしか使ってないんですよね。
水野:あとの700億ぐらいは使えてない
西内:使いきれないんですよ。
水野:どうしてですか?
西内:それは、やはり、人がいない、人材がいないということなんですね。
あとそれだけもう、やっぱり予算が国からはこれだけ使いなさいってくるんだけども使いきれないんですよ。
それは何故かって言ったら、一番の問題はがれきなんですね。がれきの仮置き場ができない。中間処理の置き場が出来ないから仮置き場が出来なくて結果的に除染が遅れているよと。あとは、防災体制とかそういう物の防災工事だとか候補地の除染だとか、そういうのを含めて全くなされてないということなんですね。

近藤:どうすれば一番、今の手立てとして一番いいと思いますか?
西内:これはもう大変難しいと思いますよね。やっぱりね、僕はうちの方だって、かなりの職員が辞めているんですよ。
水野:南相馬の市役所にもともと西内さんはお勤めでいらして、
西内:だから辞めてるからね。
水野:辞めてるというのはもうそこには住めないからですか?
西内:それもあるし、耐えきれなくて、自分の家族の問題だとか仕事の問題とか、いろいろなタイミングがあって、苦痛になったりして職員が辞めたり、そういう状況ですね。それで全国からやっぱり、うちの方でもね、50人近くの職員が来ていただいて援助してもらっているんだけれども、なかなかやっぱり、ね、ご存じの通りなかなか行ってすぐ馴染んで仕事ができるか?というとやっぱりなかなか出来ないし、いろいろな問題がありまして、そんな関係で仕事が進まない、復興が進まない、現実に復旧が進まない、そういう状況dえすね。
水野:西内さんがお住まいだったのは南相馬市で、原発から23kmはぁーー、23kmって、相当放射線量が高い場所なんですか?
西内:高いですね。でも、結局モニタリングポストでやっている地点の数値と我が家の数値。特にうちの中の数値と全然違うんですよ。数字がね。
水野:1m離れるだけで全然違いますよね。
西内:だから、通常は1mの高さと地表の高さと両方やるんですけど、通常出しているのは1mの高さなんですよね。
水野:でも子どもさんなんて、もっともっと身長が低いやないですか。地表にはもっともっと放射性物質が溜まってしまっていますよね。

古部:空中よりもね地上の方が高いわけで
水野:高いけれども数値が表に出てこない。出てくる数値は、
古部:地上1mなんですよ。
水野:あれ、実際に住むとなったら、そんな地表1mというのは現実の数値じゃないというのは分かっていく訳ですけど。

古部:みんなガイガーカウンターを普通に持ってますからね。
水野:みなさん個人でもたざるを得ないんですね。
西内:ガラスバッチをみんな持っているんですよね。
古部:ガラスバッチっていうのは首から子どもがさげて、どれ位被ばくしていくかを測るっていう、ネックレスみたいなやつがあるんですね。それは福島の一部の子どもは持たされていて、背の高いところの子どもが持たされていて、回収されて数値は教えてもらえない。
水野:教えてもらえないんですか!?
古部:教えてもらえない
水野:何でそんな…教えてもらえないんですか?
古部:だから、お母さんたちはすごくそのガラスバッチを持ちながら生活を、
子どもを育てなきゃいけない事が不安で、それでいてもたってもいられなくて、県外に避難してきたり、

水野:こりゃあ、これはもう、どんな不安かと思いますよ。
西内:私も今年4回ほど我が家に帰っているのね。そうしますとやはりね、
そこまでやっぱりこの放射線に対して敏感になると、とっても住めないですよ。

水野:住めないでしょう。
西内:放射線に対してはしゃべらない。何のあれもしない。通常の生活をしなくちゃという事でなってるのね。

水野:つまり、「もう放射能が怖い」という事を言うと、そこの地元の和を逆に乱してしまう様な、おかしな話ですけどね。みんな気にしないでですか、忘れるようなふりをするしか生きられない土地だっていう事ですよね。
西内:だから静かに生活をするしかないよ、それしかないと思いますね、見てると。
水野:でも、そういう事でしゃべれなかったら、もう本当にストレスがどんどん溜まって行きますやん。最近鬱の方が増えてるっておっしゃったでしょ?
西内:だから私も行くと、自分の居た職場にも行くのね、そうすると、先生がいて、僕は主任っていうんだけども主任先生っていうんだけども、実は保養プロジェクトとかいろんなのがあるんだよ。

水野:保養というのは2~3日でもいいから放射線を出すそばにいない所に離れて、例えば大阪に冬休みとか夏休みとかね、もう2~3日でいいから外に出たいと、その為の自由ですね、保養。

西内:ところがそれでも行ける人と行けない人がいるんですよ。
水野:どういう意味ですか?
西内:行ける家族と行けない家族
水野:行ける家族と行けない家族。
西内:うん、
古部:というのはそれは国のシステムで保養で子どもを外に出している訳ではなくて、NPOやボランティア団体や企業のプログラムで応募した人だけが
水野:民間で、もう、ほんまにあれはそれこそ費用を集めるのにね、どんだけ大変か。やってはる人関西にもいますよ、いろんなTシャツとか売って、カンパしてっていう事で、みんなお金をためて。でも聞いたところ、やっぱり2~3日福島から出てきてもらう、あるいは放射性物質のいっぱいある地域から出てきてもらうのにものすごくお金がかかる。

古部:かかるんですよね。
水野:こっちのホテル代とか、キャンプ場だってかかるんですよ。
西内:それが子どもたちに格差が出るんですよ、行ける人と。
水野:国がちゃんとやってくれたらみんな一緒に行けるけど、国がやってくれないから限られた人しか、そういう保養ということで外に出て行く機会が得られない。格差が出ちゃうんだ。
西内:「あの人は沖縄とか長崎に行ってきたよ」と、「僕は全然行けないよ」と。そういうふうに格差が出てくるんですね。だから、行くんだったらみんな一緒に、学校全体が、たとえば3週間夏休みに蔵王に行くとか、新潟の方に行くとか、そういうので

水野:せめてね。
西内:せめて。だけど、10人や20人で沖縄に行ったって、なんにもならないんですよね。

水野:となるとね、これ、国がちゃんと、「子どもが今住んでいる地域は子どもにとって危ないんだ」という前提に立たないと予算が付けませんよね。ということでしょ?「安全です」「大丈夫です」と言っている限りは、外へ逃げる必要がないという考え方じゃないですか。

古部:でも法律ができたんですよね、子ども被災者支援法。
水野:支援法というのが出来ました。けど、その事が具体的にそういう子どもたちを外に逃がすという事に繋がっているか?というと、繋がっていないでしょ?今。

古部:結局は個人の努力を強いられるような状態ですよね。佐藤さんのような人でも、なんかこう、「子どもじゃないじゃないか」とかね、「独身でしょ」とか、言われる人もいるんですけど、でも、独身の人はこれから子どもを産むわけですから、大事にしなくちゃいけないですよね。

福島県本宮市の仮設住宅に住む Sさんからのお便り (2013.10.21)

いつもいつも皆さまが大切に育てた食料を送っていただき誠にありがとうございます。この度暇を見つけて自宅(浪江町)に行ってくることができました。自宅及び浜を写真に撮ってきましたので送らせて頂きます。

 

私共の仮設は二所帯が一棟に住んでいます。最高年齢は91歳から私の孫を2人を入れて28人、15所帯がいます。80代以上が6人、60代以上が11人、50代が7人、若い人は娘と孫2人が暮らしています。そのうち約半数は病院通いしている状態です。

又、買い物に行くのに4キロ位行かなければ無い所です。

年配の方が病院に行ったり買い物に行きたい時は、時間の取れる人が車を出して、送り迎えに行っております。

皆様から食品を送っていただきますと、みんなと分けて有り難くいただいております。下手な撮り方ですが写真を送ります。私達が住んでいた自宅及び浜や仮設を撮ったものを送らせていただきます。こんなことしかできませんが、よろしくお願いします。

 

追伸

妻が亡くなる前、看病しながら折った品を送らせて頂きますので家の片隅にでも下げて頂ければ有り難いです。

上から請戸浜の市場、請戸の田んぼ一面は背高泡立草で黄色く色づいている。右の写真は請戸浜から見た福島第一原発。

請戸浜の崩れた堤防、自宅台所、自宅に発生した大量のネズミ

以前住んでいた公営住

津波で船が丘にあがったまま。ガレキの山があちこちに。浪江請戸の浜。

仮設住宅、空き地に作られた畑。

大熊町から郡山に避難しているSさんから写真が届きました。

いつも野菜など送っていただきありがとうございます。

大熊町にお墓参りに行ってきた写真を送ります。

線量計は18.9ミリシーベルトでした。

線量が高いので5時間だけ、自宅は草だらけで入れません。

田んぼは草だらけ、政府は除染して戻れるように言いますが、もうもどれないとはっきり言って生活の補償をして欲しいです。 

 

9月連休東京から保養に 子どもたち 手作りおやつ

8月夏休み 富山市内のシェアハウスで保養

8月6日から19日、神奈川県から5人家族で富山に保養に来られました。畑で収穫した野菜で、交流会。海や川遊び、高岡の大仏など、子どもたちが富山の自然を満喫している様子でした。

 

毎週水曜日12時~北陸電力前 ランチタイムアピールやってます!! 

支援物資・カンパ募集

福島の仮設住宅に支援物資を送ります。米・野菜や日常品、カンパ募集しています。

6月23日(金)12時から富山東別院会館前

企画の案内

おすすめの本

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串崎浩著「田んぼの真ん中、はぐれ雲
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